臭い立つエントリ、歌の話

  体調が悪い。眩暈、頭痛は一過性のもので、大したことはなかったのだけど、呼吸困難の苦しさがどうしようもなくて。なにしろ、「呼吸をするな!」って身体が命じるようで、鼻呼吸はもちろん口呼吸も身体が躊躇わせるような状況。ここで、私が倒れると会社が立ち行かない、というわけでは決してないのだが、倒れるわけにはいかない事情がある。実に単純で表層的で、そして極めて現実的な情況なので書かない。それに、今朝は少し好転してきた気がする。

  さて、私は、先にも「十年前の怨念、そして歩くこと。」で書いたが、十年間の重しを取り払おうとイロエロと考えていた。簡単なのは文章を綴ること。で、パソパソとテキストファイルに書こうかと思ったのだが、これがダメ。なにがダメかというと、流れてしまう。心が入らない。入っているつもりでも、入っていないで、満足感は刹那的であり、表層雪崩として流れ崩れることが予想された。

  で、紙のノート(って当たり前だな)に軸の太い愛用の百円ボールペンで、グイグイと書き始めた。だが、これもダメ。いや、心情的にはパソパソ書くよりも余程に心が入り、根雪として堆積することが予想された。しかし、腕が痛い。パソリパソに慣れてしまった報いであるな。

  このままでは、「十年前の怨念」に取り憑かれたままに、時が過ぎ行き、濁り、汚れた人間になってしまう。私は、苦悩の末、歌を作った。ギターをガシャガシャと鳴らして、歌詞をリズムに乗せるべきところは乗せ、乗せられない怨念に対する思いは、「字余りだけど、笑ってくれよ、ボケ!」と聴衆の居ない部屋で悪態を吐き、歌を作った。

  ギターは、可哀想なまでに乱暴に弾き込まれ、鳴きそうなまでに叫んでいた。はっきりいって、これはギターという楽器への冒涜であり、そして楽器の練習という様では決してなかった。しかし、歌を作り、歌った。怨念調伏への第一歩になることを歌に祈った。

(本稿以上)