咀嚼至らぬ言葉

  現実世界の幾人かの友人にメールを出しその返信文、あるいは立ち寄る二つばかりの掲示板の幾つかの言葉を噛み締め、繰り返し読んだが、咀嚼するに至っていない。これは、ひとえに私の心が、まだ荒んでいるからに違いない。

  そして、別の場所で書いてくれた次の言葉。

8月19日の文体、僕に言われてもアレだと思うが、好きだな。文体は生き方そのものであり、後ろ向きで弱々しい精神からは軟弱な文体しか生まれないと信じる。

  「後ろ向きで弱々しい精神からは軟弱な文体しか生まれないと信じる。」私は、彼の言う「文体」を「生活」と読み替えて、咀嚼した。くそくだらねえ、平面遊戯のブログ。私は、含蓄も時にある便所のラクガキ以下のどうしようもない磨き上げた便座だと思うことがままある。横っちょのラクガキに顔をしかめながらの排出行為。

  ケジメをつけるまで、私の便所のラクガキは続く。世界中の誰にも向けた言葉ではない。自己完結させないがための、悪あがきだと理解してくれて構わない。

(本稿以上)散髪屋、さっさと開店させろよ、ボケ!!