? 坂口安吾@「新潮」5月号

  書評、じゃなくて、感想文でもなくて、ちょっとメモ。「新潮」5月号に出口裕弘坂口安吾 百歳の異端児」というカキモノが掲載されている。このカキモノ自体は、安吾の著作からの引用が山ほどであり、地の文が少なくて、ちょっと気に入らないのだけど、坂口安吾素人の私には勉強になる。そこから、引用。

昭和八年五月の座談会「文学の新精神を語る」で、安吾はまずこんなふうに言う。「日本の文壇は言葉を問題にしている。意志を問題にしていない。その点フォルマリスティック(形式第一主義)だ。文学は意志だ。言葉は後だ」

  続けて、安吾の著作からの言葉を引用する形で、出口氏は語る。

ドストエフスキーバルザック」でも、小説としての散文は「文章の体裁を纏めるよりも、書くべき事柄を完膚なく『書きまくる』べき性質のものである」と安吾は言い切っている。

  意志と言葉。最近、色々と考える局面があり、そこでこの二つの事項の差異を考えると、もしかすると助けになるかな?と思い、メモした次第。