俺の堕落1

  以前、「境界線の記憶」http://d.hatena.ne.jp/keroyaning2/20060813/1155473579という臭くて、偉そうな駄文を書いた。堕落について書いたからには、私も堕落を経験した。

  勉強するためにではなく音楽をやりたいために大学に入り、意気軒昂、血気盛んにブイブイと音楽を演奏していた。音楽の基礎は、つまらないが、必ず未来に繋がることであると信じて、日夜練習に励んだ。そして、しばらくしての未来には、「ああ、これが音楽の醍醐味であるものだよ」という感情を得ることも出来た。音楽は、自らが奏するものであり、スポットライトは舞台に燦燦と向けられているわけであるが、暗闇の聴衆の見えない鼓動が伝わるのだ。

  だが、舞台は暗転した。最後の一年間、私の右手は異常をきたして、音を楽しむこともままならぬ、弓を最後まで持っていられるか、という心配が、演奏中の私の脳裏の大分を締めている有様だった。部屋に帰り、氷嚢を右手首に巻きつけて、悔しくて涙を流した夜もある。病院にいくと、腱鞘炎であると診断されて、「術後しばらくは動かせませんよ」と告げられた。「しばらく」に頭を抱えた。

  結局、「しばらく」後の演奏会に、入念な準備?を施して望み、私の小さな世界ではあるが、一つの集大成を迎えた。

  と、まあ、ここまでは「堕落」ではなくて、軽い挫折であろう。

  堕落はこれから。一つの個人的集大成を終えて、私は抜け殻になっていたわけで、手術もせずに社会人の音楽サークルに入会して、モンモンとしながらも音楽を続けた。悶々とする人間が奏する音楽が、音楽であるわけもなく、私は、会を抜けて自堕落な生活に身を落とした。楽器は埃を被って、部屋の隅にある。

  何故、抜け殻な時に、手術をしなかったのか。いや、することで、更なる迷妄に迷い込んで、いまごろ、奈落の底かもしれない。というのは、逃げ口上であり、私は「堕落」の男なのである。

(本稿以上)