島田裕巳「宗教としてのバブル」(ソフトバンク新書)

宗教としてのバブル [ソフトバンク新書]  私の嫌いなソフトバンクが、新書ブームに参入しての初回配本の一冊。ソフトバンク新書002とあり、999冊くらいまで枠取り皮算用しているソフトバンク。そんな、バイアスは横丁に置いておいて、本題。

  本書の白眉は、大きく二点ある。まずは、これこそが肝であるという点であるが、簡単に述べてみよう。すなわち宗教学者が、「バブル」という社会・経済問題について記した書物であること。J・K・ガルブレイス「バブルの物語」の原題A Short History of Financial EuphoriaEuphoriaユーフォリア)を多用してバブル経済の分析を進める。正確に言うと、バブル経済を背景にした人間心理、すなわち「陶酔的熱病」の分析だ。

  バブルの解説本には、大きく分けて二つの系統があると思う。一つは、純粋経済学的にアプローチする系統。そして、社会風俗からバブルを捉える系統。しかし、いずれの系統においても、意外と盲点であるのが、人々の心理状況である。それを著者島田は、専門の宗教を絡めて、鋭い切っ先をバブルの心理分析に向ける。

今買わなければ、すぐに買えなくなってしまう。(中略)切迫感が生まれ、皆それにあおられていった。(p.113)

  白眉のもう一点。1980年代日本のバブル経済の発端は、85年のプラザ合意にあるとするのが経済史における通説である。しかし、著者は高度経済成長期から80年代バブル経済への連続性を主張する。すなわち、二回のオイルショックにより、日本経済は”一時的”には低迷し、安定成長期に入ったが、その時代、既にしてバブル経済の萌芽が芽生えていたと主張するのだ。

  そして、興味深い分析方法を採用する。すなわち、当時の新聞収縮版を丹念に読み込むのだ。少し長くなるが、引用してみる。

  1970年から収縮版をめくってみることにした。すると、オイルショック翌年の1974年あたりから、不動産関係の広告が増えていったことが分ってきた。(中略)当時の新聞広告の特徴として目を引いたことがある。それは求人広告の多さだ。(中略)人手が不足していたからこそ求人広告が多かったわけだが、それは新聞の読者に、仕事はいくらでもあるという安心感を与えることにつながったはずである。(p.62)

  著者が何故に高度経済成長期から80年代バブル経済への連続性を唱えるのか?これは、80年代バブルの主人公、すなわち元凶が、当時働き盛りでカネも持っていた団塊世代にあるということを主張せんがためである。このことについては、個人的には同調する部分もあったのだが、書き始めると長くなるので割愛する。



  さて、最後に、ブームとなっている新書の読み方を考えてみよう。なにしろ薄っぺらな本である。内容も薄い。したがって、周辺情報をじっくりと頭に入れておかないと、いいように影響されてしまいかねない。私が絶対にチェックを怠らないのは、著者の年齢。ここから得られる情報は、限定的ではあるが、一つのメルクマールになる。

  ちなみに島田裕巳は1953年生まれ。彼が本書で批判を展開する団塊世代の少し後の世代だ。団塊世代が、華やかなりし学生運動の終焉とともに、ゲバ棒を投げ捨てて、ネクタイ姿の宮仕えに変わり身する姿を身近に目撃した世代。著者の年齢からこのような背景を読み解くことができる。ちなみに、島田氏は本文中で、私が今、書いたようなことをしっかりと明記している。その点で、非常に良心的である。中には、そういうことを一切書かずに、新橋ガード下で巻きまくるクダを書き捨てて、新書に仕立てるような作者あるいは版元もあるので、この点は、気をつけましょうね。

(本稿以上)