連帯を求める人々

滝本太郎先生へのご返事
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_3.html

  先日、書き殴った↑エントリについてのエントリでは、触れなかった。いや、正直に語ると「違和感があるのはなんでだろう?」と思っていながら、内容の咀嚼に眼を向けていたので気が付かなかったことを書こう。佐々木氏のエントリを引用する。

滝本先生、佐々木俊尚です。
先生のトラックバックに対して、ご返事が遅れたことをお許しください。
滝本先生のおっしゃる「オウムと大日本帝国を同一視すべきではない」という言葉を、私としても真摯に受け止めたく存じます。

  ふむふむ。もの凄く礼儀正しい物言いで幕が上がる。そして、終始この調子である。実名弁護士への言であるから、礼儀正しいのかもしれない。読者は、まずそう考えるでしょう。ところが、普段、礼儀正しくないかもしれない人間が、礼儀正しく装う時は、サブリミナルを刷り込むことにある、と普段、礼儀正しくない私は思う。韜晦に溺れず、書こう。

  ↑エントリ。内容はクソタレだと私は思うが、それ以上にクソタレだと思うことは、滝本氏へ、「ごめんなさい」という顔をして、「そう思いますよ、ね?そう思うだろ、な!」という同調を求める空気。頭を下げながら、懐のチャカに手を伸ばしている空気。同調を求める空気。

  読者は、同調への回答が為されない時、「同調を求められたあの人が、応えない。なるほど同調したんだな」って考える。すると、同調を求めた人間の「言葉」は、同調を求められた人間の「無言」に補強されて、隠された牙を隠すことなく曝け出し、大手を振って歩き始める。加速して。回答が為されない理由は、問われない。例えば、「こんなクソタレた言葉遊びは、ナンジャコリャ?」ってな、些細な理由であっても。

  他人に同調を求めて、自論を補強していく手法、これは、どうも佐々木氏の根底に潜むものだと、一連のエントリを読んで、思った。佐々木”「ジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた」”俊尚氏の個性なのか、ジャーナリズム全般のものなのかは不明。生活者としては、前者であることを希望するよ。

(本稿以上)

最後に、佐々木氏へお願いする。













間違ったエントリをTBしてしまったので、削除してください(´・ω・`)
「いよいよ発売です!」というspamみたいなエントリです。

(追記、8:44頃)
というオチを作ったんだけど(実は素)、
TBが、まだ反映されてないみたいだ。
オチの関係上、間違ったエントリもTBに反映させてください!