ウォーキン・ワーヅ。

言葉が歩いている。
とても小さな世界が舞台かもしれない。
ブログ世界。



先日、私は山を征服した。ブロゴスフィア山塊を形作る、一つの山だ。言葉は、力を持っている。正確に言い直そう。私は、一つの山に登った、登らせてもらったと。山を征服する。それはおかしな、不道徳な言い分だと思っている。



言葉が歩いている。

ライブドアという会社がある意味で自分を含む団塊ジュニア世代の「パンク・ムーブメント」だったことを実感した。驚いたのは、実は自分もこの10年あまり、想像以上にその舞台上の登場人物たちの近くにいたことを知ったことだ。

  実感して胸のうちで首肯するのは構わない。だがしかし、「戯けたことを抜かすな!!」と、俺という一人の人間のムネオに、お前の言葉が届いている。言葉の力だ。「言論弾圧だお!!」と言うなら言え。以上。



言葉が歩いている。

 私がR30さんのこの発言を読んだときに感じたのは、多くの批判者が書いている「オウムと日本国民を一緒にするな」という身も蓋もない批判、反感ではなかった。

  おまえの言葉は俺に届かない。だが、おまえは自称か、他称か、次課長か知れんが、ジャーナリストだ。ここでは、以上。

マスメディアという権力の相対化の果てには、クボヅカ的ナショナリズムや絶対正義とフラット化したネット世界の異形の接合が現出した。ネットももうだめかもしらんね

反省なき者として、俺という一人の人間は、お前を笑う。これは、以上。ではない。



さて、言葉は歩いている。ちょっと、広がる世界で歩いている。

彼のスタンスがよくわかる記事。ブログに溢れる気味悪さをよく伝えている。でもこの気味悪さこそ、ある種の“玉”でもあると、思う。


さて、言葉が歩いている。

さてさて、言葉が歩いている。
発する人間を飛び越えて歩いている。



「そういうものだから、言葉のフットワークはすごいお!!」


俺は応える。
「ふっ!俺が発する愛の言葉は重い」ってな。


(本稿以上、言葉は続く)