湯川鶴章氏の足跡の一部とオマイニュース 

  ガ島通信というブログを書いている藤代氏という者がいる。参加型ジャーナリズムの伝道師である湯川鶴章氏の一番弟子みたいな位置付けかもしれない。しかし、私が先に掲げた「(略)残された廃屋」に記した<Podcast消失事件>、<湯川氏消失事件>、<湯川氏、何故か出現する事件>、いずれの事件においても、彼は顔を出さなかった。ガ島通信旧舘の焼跡に、学ぶところがあり、「知らない人だお!」と距離を置いたのかも知らない。いずれにせよ、彼が一番弟子の座を放棄したと私は見なす。そこで、私の登場だ。これから、私が湯川鶴章氏の一番弟子を名乗らせてもらう、雨蛙ケロ助です。

  さて、<湯川氏消失事件>における彼の足跡の一部が、明らかになった、正確に述べると既に明らかになっていたのだが、今回はそのことを考えてみよう。まずは、おさらい。

2006-04-12 01:22:「説明の続き」*1エントリをアップ

2006-04-12 17:20:「(略)削除した件について」のコメント欄に登場

<湯川氏消失>

2006-05-05 04:59 :「中間報告」エントリをアップ


  スポンタ通信氏の「湯川さんと会う。」と題するエントリがある。タイムスタンプを確認すると、「2006/04/23のBlog[ 22:18 ]とあるが、下記に引用する本文内のタイムスタンプから判断すると4月14日(おそらく昼間)の出来事だと思われる。

湯川さんと会って、1時間半ほどスターバックスで話をした。(060414)
意外や意外。私が湯川さんから話を聞くよりも、ネットで起きていること(書かれていること・論争されていること)を、私が説明するかたちになった。


  スポンタ通信氏が、真実を述べているおり、かつ会った人物が湯川鶴章本人であるならば(八百屋のおじさんと語り合っていた疑念も払拭できない)、上記「消失事件」の一部が補完されることになる。4月12日に消失した湯川鶴章氏であるが、14日にはスポンタ氏と会う、という形で消えていなかったのだ。


  さて、これをどう考えるか。4月12日17時20分に「参加型ジャーナリズム」から一時的に離脱して、4月14日にスポンタ通信氏との「個別対応」を行った事実が判明する。先に「一時的に離脱」と記した文脈で読み解くと、湯川氏の「個別対応」は批判されるべき行為とは言えない。「参加ジャー」世界が混沌としており、ちょっと疲れてしまったので、スポンタ氏という機智に長けたブレーンに相談したいと思った、とも考えられるからだ。

  問題は、離脱が一時的ではなかったこと。「参加ジャ」世界に戻ってこなかった。戻ってきたのはこどもの日、5月5日だ。あたかも童心に戻ったかのような、子供のラクガキみたいなエントリを携えて。

  ちょっと横道に逸れるよ。5月5日以降、彼の姿は消えてしまったのだが、それについての周辺情報を紹介しておこう。冒頭に述べたガ島通信がスクープで報じた「オーマイニュース日本語版編集長に鳥越俊太郎氏が就任」というエントリに答えは隠されている、わけではない。「オマイニュース」については、BigBang氏が、「鳥越俊太郎氏、初代編集長に(オーマイニュース日本版) 」
を書いている。

湯川さんではなかった。(爆)


  なるほど。この言からすると、湯川氏は「オマイニュース」の編集長になるべき人物であり、5月22日には姿を現すやも知れなかったわけだ。しかし、彼は未だに行方不明のままである・・・。


■結語
  さて、湯川氏の空白は、4月14日から5月5日に絞られた。その間に、彼を巡りナニが起こっていたのか?彼の一番弟子の席に収まった私は、ネット上に散らばっている情報(log)から考えていきたいと思う。弱っている師匠を足蹴にするようで、気が咎めるが「参加型ジャーナリズムで世界を変えろ!!」という師の言葉を胸に、弱気になる我が心に鞭を打ち、頑張っていこうと思う。

(本稿以上)

*1:現在は、「泉さんのエントリーを削除した件について」。