湯川鶴章氏は、何者だったのか?(中)

■憤りの根源
  私は、「(略)残された廃屋」というエントリを書いた。そして、一筆入魂で書いたことを自負していたが、不満を抱えていた。何故か?それは、湯川鶴章氏という「参加型ジャーナリズム」の伝道者に対して私が抱いた”憤り”の根源が、不明瞭だったのだ。興味のある方は、先のエントリを読んで欲しい。憤りの源が読み取れないと思う。書き終えて、アップしたときの私も同じだった。しかし、寄せられたコメントで、当時のことを思い出し、ハタっ!と膝を打ったものだ。そして、感情の再現は不可能だけれども、憤りの根源が思い出された。

  <Podcast>が生まれ、消えた後、湯川鶴章氏が初めて現れたのは、BigBang氏の「湯川氏と時事通信社は一刻も早い説明を(2)------泉インタビューの削除に関して」のコメント欄だった。


※コメント欄の全文引用が、ブログ世界の戒律に照らして良いことなのかわからないが、ここでは全文引用する。

湯川です。みなさんの紳士的な議論に感謝いたします。
泉あいさんのファイルの削除の件について、ご説明いたします。
インタビューの内容がセンシティブなものであり、「IT潮流」に目指す内容にそぐわない、というご指摘をいただきましたので、エントリーを一時的に非公開設定にし、その後、わたしの判断で削除しました。「IT潮流」はブログ、ポッドキャストはIT業界のキーパーソンをインタビューすることでIT業界の大きな流れを読み解くということを目指しています。それ以外のテーマでの議論の場にしたくない、というのが削除の理由です。説明が遅くなり、申し訳ありませんでした。ご質問には、可能な限り誠実にお答えしたいと思います。この場をお借りしますが、よろしくお願いします。

投稿者: 湯川 (Apr 11, 2006 8:37:10 PM)

このあと、幾つか応答があるが、それは、BigBang氏の上記エントリにあたって欲しい。

−−−

  私にとっての事件*1前夜のことである。したがって、一人の傍観者、「通りすがり」として、このコメント欄のヤリトリを見ながら、憤っていた。なんで、こんな大事なことを自分のブログで、新しいエントリを立て、そこでヤリトリしないんだ?なんで、他人の目立たないコメント欄で、完結しようとしているんだ?自らのブログで弁明することを醜態であると考えているのか?このことについて、傍観者としての私もやるせなく思った。そして、眠った。



■結語
  思わせぶりなままに、言葉を進めることに耐えられないので、結論を先に述べる。湯川鶴章氏は、事情を知らぬままに「ことのは騒動」に、出てきてしまった。以上。




■スポンタ氏の黒い疑念、そして無知との遭遇
  私にとっての事件が発生してから、幾つかの疑念が起こった。その一つが、スポンタ通信の「湯川さんと会う。」と題されたエントリ。

意外や意外。私が湯川さんから話を聞くよりも、ネットで起きていること(書かれていること・論争されていること)を、私が説明するかたちになった。

  前回、登場いただいたスポンタ氏だ。私の「原典にあたって欲しい」を実践されて、「スポンタ通信」を御覧頂いた方には分ると思う。季節感がズレたブログである、と揶揄したが、スポンタ通信のトップは、「幻想の市民参加型ジャーナリズム」である。すなわち、彼の中心主題は、”幻想”と銘打っているものの、「市民参加型ジャーナリズム」であり、湯川鶴章氏が掲げる「参加型ジャーナリズム」、あるいは「オープンソーシャル・ジャーナリズム」と被っている。実際、湯川鶴章氏の「ネットは新聞を殺すのかblog」でも、昔から闊達にコメントを行っていた人物だ。

  したがって、4月7日夕刻に生じた<Podcast消失事件>について、その前段の経緯及び背景を知悉したスポンタ氏が、湯川鶴章氏に対して、「参加型ジャーナリズムは危機にある。私がなんとかするから、先生は表に出てこない方がいいでしょう」と、注進に及んだのではないか?「参ジャ」の盟友である二人が、「参ジャ」の危機を敏感に感じ取り、「個別対応」で画策した疑いが湧き上がってきた。事実、その後のスポンタ氏のアチコチにおける言は、ピント外れ、珍妙奇抜なものであり、問題の核心を隠蔽するために、湯川鶴章氏の使いとして暗躍奔走しているのでは、と私は感じた。前回の(上)で書いたことを引用する。

アンポンタンな私は、「ココ」を読んで、やっと分かった。
こいつは大問題だよ。
スポ:2006/05/22(月) 09:47:07


  私も、やっと分った。アンポンタンなスポンタ氏が、一連の問題の背景を知得したのは、なんと5月22日になってからだったのだ(はぁ・・・)*2。これで、彼と周囲の噛みあわない議論の源がわかった。もちろん、「アンポンタンを装った所謂「工作員」である疑いは、完全には払拭できないぞ!」と懸念する向きはあろう。しかし、私はスポンタ氏の無知を信じることにする。すると、先に引用した

意外や意外。私が湯川さんから話を聞くよりも、ネットで起きていること(書かれていること・論争されていること)を、私が説明するかたちになった。


  スポンタ氏は、<Podcast消失事件>の背景を説明したわけではなかった。さらに、スポンタ氏*3が、当地「けろやん。ブログ」のコメント欄に登場して、以下のコメントを残したことで、裏付けられる。

# sponta
けろやんさん。ごめん。
私がスタバで湯川さんと会ったのは、私の原稿「幻想の市民参加型ジャーナリズム」という文章が新しい本に採用されないことについて、私が説明を聞きたかったということ。そして、湯川さんも説明したかった。そういうことだよ。

  4月14日の<スターバックス密談事件>の真相が現れてきた。すなわち、スポンタ氏が、「何故、私の文章が採用されないのだ、説明せよ!」と湯川鶴章氏に、(言葉は悪いが)怒鳴り込んだ事件だったのだ。湯川鶴章氏にとっての<スターバックス事件>は、「無知との遭遇」であったわけだ。

  私はそのように理解する。そして、私は、無知蒙昧の徒であるスポンタ氏を信じている。

(本稿以上、参ジャは、あと一回)

*1:繰り返しだが、2006-04-12 06:20に湯川鶴章氏のコメント欄に書き込んだ時点が、私にとっての事件発生である。

*2:「アンポンタン」発言は、匿名掲示板における書き込みであり、この「アンポンタン」を掲げる「スポ」なる人物=スポンタ氏であることを疑われる向きもあろう。しかし、スポンタ氏は、スポンタ通信において、自身の「アンポンタン」発言http://www.doblog.com/weblog/myblog/12516/2580524#2580524を綴っている。したがって、匿名掲示板の「アンポンタン」発言=スポンタ氏の「アンポンタン」発言であることは確実である。

*3:正確には、スポンタ氏と思われる人物。私は、彼にしか書けない文体であると思うから、ここでは、彼本人のコメントであることを前提に話を進める。