IT漂流前夜:混沌と悲劇の萌芽

  さて、ガ島通信氏ガ走り出して、脱力してしまった私ですが、気を取り直して続きを書きます。今回は、駆け足です。

−−−

  3月13日の「カミングアウト」を境に、混沌とした状況が展開されました。ブログ世界の「川上」、所謂アルファ・ブロガーの世界では、”結語”(一般的には総括という言葉ですかね)が発せられ、事態は収束に向かいます。しかし、ネット世界の「川下」においては、騒動の論点が分岐して、暗闇への彷徨が始まってしまいました。分岐は、主として以下の3エントリから端を発したものと思われます*1

3月14日(火):「レッテル」
3月15日(水):「黒幕と噂さ」
3月16日(木):「(略)〜また「炎上」の話なのですが」

  まずは、3月14日にアップされた(株)はてな代表取締役近藤淳也氏の「レッテル」と題するエントリ。騒動直前(2月13日)に発売された書籍「「へんな会社」のつくり方」(近藤淳也著)において、インタビュウアとして松永氏が登場していたにも関わらず、軽はずみなエントリであるとの声が上がっていました。「はてなへの憎悪」、「騒動の拡散化」と目的は異なるが、騒動をはてなに結び付けようとする人々が、跳梁跋扈していたように思います。はてなダイアリ界隈で、松永氏であろう「matsunaga」氏*2が、私には攻撃的な感じられる言を繰り返しており、私自身の「絵文禄ことのは」への感覚は、困惑から幻滅へと推移しました。

  次に、3月15日にアップされた「黒幕と噂さ」と題されたGrip Blog上でのエントリ。「メールをいただきお会いして、お互いの所在をお互いがわかる状態にし、正式な文章で内容をお送りしたいと考えています。」と訴えかける内容です。これについては、書き手が、「退社(実害)の理由」として述べていることに対して、さまざまな憶測が駆け巡りました。私も会社の対応が、随分と速いものだなあ、って思ったものです。なんにしても、ブログ世界というオープンを掲げた「場所」で、なんで、「「メールをいただきたい」という個別対応にモツレコムのかな?」と落胆したことを記憶しています。

  最後に、3月16日にアップされた「(略)また「炎上」の話なのですが」と題された踊る新聞屋−。さんのエントリ。ここでは、コメンテーターとして、トリル氏、黒崎氏、鮫島氏*3が登場して、踊る新聞屋氏を追い込んでいました。現実世界で対峙した時のことは分らないけれども、ジャーナリストがブログ上で「すいません。俺にとって、お二人の議論とジョークは高尚すぎましたし、喧嘩するのに管理人とコメンテーターでは、前者が明らかに不利なので、俺は遁走します。」という言葉を残したことが印象的でした。でも、正直やり過ぎではないか?という嫌な気持ちになったことも事実です*4


  さて、混沌とした「ことのは騒動」。matsunaga氏の言や、”個別対応”というブラックボックス化に嫌気が差した私は、この時点で、興味を失いました。ブロゴスフィアには敵わない、現実世界に戻ろう。その思いを込めて、3月17日「『ことのは騒動』〜自分の結語はさておき・・・」というエントリをアップしたものです。その後、4月3日に「「ことのはを巡る」を考える会(仮称)」という企画もありましたが、ブログ世界ではヒキコモリの私には縁無き話でしたし、「ああ、また個別対応の村社会オフ会かあ・・・」と嘆息したことは鮮明に覚えています*5

  このように、一度は混沌の中に沈み忘却されたであろう「ことのは騒動」。平成18年4月7日に、事件が起こります。この事件が無ければ、騒動も現状のような展開にならなかったかもしれません。私に分ることは、この事件が無ければ、私自身が騒動を離れて、現実世界で情熱的な恋をしていたかもしれない、ということだけです。

(本稿以上、騒動続く)

*1:他にも幾つかあるけど、省略します。このエントリは「前夜」ですので。

*2:少しは偽者が混じっていたかもしれないが、その辺の状況は不明。

*3:コメント欄への登場順での記載です。

*4:ジャーナリストをブログ上で名乗ることは大変に勇気がいることだと思います。

*5:オフ会を企画しながら、インタビューを全文読んでいないなんて、なんだかなあ、と思い「人の悲劇を哂うな!」というエントリをcatfrogさんに贈ったのです。しかし、この時点と現在とは状況が一変しているのは気が付いていたので、先方にお詫びを入れました。興味ある方は、該当エントリのTB先を御覧ください。