安楽椅子探偵の挫折

  前回の続きです。「カミングアウト」直後のブログ世界の様子をペタペタとリンクしたのには、訳があります。一つは、リンクしてTBを飛ばしまくって、本ブログのアクセス数を伸ばすという野心。二つは、「ことのは騒動」のトリガーとしての主人公である松永氏*1「自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ」というエントリの手法を試してみたいと思ったことです。

わたしたちは今、インターネットという強力な情報ツールを手に入れています。「我々は自分で直接取材して真実を知るという手段を持たないのだから、マスコミ報道を信じるしかない」と主張する人たちがいますが、インターネットを使える人がそのようなことを言うのは恥ずかしいことです。
(中略)
「その気になればわたしたち自身による自己検証は可能だ」ということです。

  私は、ハードボイルドな人間ですが、本格ミステリも好きです。その系譜に、”安楽椅子探偵モノ”というジャンルがあります。簡単に説明しますと、「事件現場に足を運ばず、現場で集積された情報を入手して謎を解明する」というミステリ小説の一ジャンルです。上記、引用エントリで紹介されている手法で、「ことのは騒動」を読み解いたら、なんだかおもしろいことになりそうだぞ!と思ったわけですね*2。ペタペタ貼りをした理由、その一が野心であり、その二が好奇心ということです。

  さて、PCモニタから出てくる情報から謎を解こうよ!と思った私ですが、格好の「謎」が提示されました。「GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(2)」に出てくる”四人のキーマン”とは誰なのか?このフーダニットを安楽椅子探偵の手法で解明してみよう!!と勢い込んだものです。ただ、上記「企画書について思うこと」が(6)まで更新された現在の心境は、この謎を安い好奇心で探求してはいけない、Big Bang氏のように真摯な姿勢(当事者だということもあるが)で触れるべき事象であると思っています*3


  ・・・続けます。まず初めにブログ世界の有名ブロガーが、「カミングアウト」をどう捉えていたのか手繰ってみました。何故か。ブログ世界は、開放的姿形を装いながら、実は閉鎖的であることを感じていたからです。すなわち、ブログ世界のビッグネームが感慨を述べる→それを読んだ別の誰かが、恣意性の有無に関わらず、影響を受けて感慨を述べる→・・・。全てのことが、こういう経路を辿るわけはないですが、先に述べたように虚脱感覚に覆われていた当時のブロゴスフィアです。独立独歩の有名ブロガーとはいえ重苦しい空気の中では、バイアスが生まれてしまうでしょう。それを肝に刻むためにブログ世界のいわば「川上」から辿ったのです。

  「四人のキーマン」かどうかは分かりません。ただ、後に「ことのは騒動」の渦中(彼の表現を借りると火中)に飛び込むアルファブロガーR30氏も「カミングアウト」への感想をエントリに上げています。そして、「四人のキーマン」か、これも不明ですが、終わらない「ことのは騒動」に飛び込んだ湯川氏はエントリを上げていない。興味が無かったのかもしれません。興味が無かったのに飛び込んじゃった、という失態の一因を感じ取れるかもしれません。また、政党懇談会、あるいはその他の現実世界で、松永氏のことを(程度の違いはあれども)知っていたにも関わらず無反応な人もいます。非常にセンシティブな問題だから、あるいは呆れ果てたから、あるいは・・・。

  さて、お分かりかと思いますが、思考は無限に広がっていきまして、無限は迷路ではないが思考は迷路に入り込んでしまったのです。ここで、私は「四人のキーマン」探しというフーダニット問題で挫折しました。ブログ世界という「現実」は、エラリー・クイーンのように論理的に解決できるものではなく、アントニー・バークリーの多重解決的結末にならざるを得ないのだなと思いました、というレトリックへの逃避はいけない。テキストを丹念に精読すれば、確証まではいかなくても、もしかすると臭いくらいは感じ取れるのかもしれません。

■結語:負け惜しみ
  今回の謎解きで、私の本来の目的である「四人のキーマン」探しは頓挫しました。しかし、クローズド・サークル・ミステリとしてのブログ世界における、”空気”の伝播を感じ取ることが出来たことは、収穫でした。

(本稿以上、騒動続く)

*1:現段階(平成18年5月21日)での主人公は、必ずしも彼ではなくなっている、と私は思います。しかし、どこまで続くか分らない「ことのは騒動」。どこまで広がるにしても「騒動」のトリガーは彼だと考えるのが適当であるとも思っています。

*2:現実世界のジャーナリズムであったりマスコミであったりの取材姿勢が、「安楽椅子」であってはならないことだと思っていますよ。

*3:この心境へは、先のエントリを下書きしていた5月20日、昼頃、既に到達していました。従って、多大なる徒労感を覚えたものです。徒労感。書きかけ頓挫中の「ライブドアの話」とか、「書こうと思ったけど・・・」書いていない、極東ブログのあるエントリへの見解、書けない原因はその「徒労感」です。