J・スウェイン「ファニーマネー」〜団塊世代のlifehacks

「クロスローダー*1というのは、われわれとは世界観がちがうんだ」自宅のキッチンで隣家の住人と夕食を食べながら、トニーヴァレンタインは言った。

ファニーマネー (文春文庫)  冒頭の引用である。これを読んだ私は、「おっと、古き良き英国田園ミステリが始まるのかな?」と思った。かのミステリでは、しばしば昼食時のティー・タイムが、のんびりと描写されるものだ。しかし、本書は帯に「親友を殺したイカサマ師を追え」とあるように、長閑でない復讐譚であり、舞台も大都市、ミステリというよりもアクション小説なのである。しかし、その本質は・・・

(注意!)以下で、歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」のネタに触れる部分がありますので、ご注意ください。


  さて、本質に触れる前に、復讐譚であることを考えてみたい。冒頭の長閑な光景から程なく(10ページ後)、次のような光景が描かれる。

四十年来の親友が死んだという事実を受け入れることが出来なかった(中略)ヴァレンタインも必死で何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。目がひりひりしてきた。そして部屋がぐんぐん縮まってきた。受話器を置くと、彼は泣いた。

  見事な悲しみの描写だと思う。これが、例えば、テレビドラマや映画などの視聴覚表現ならば、大袈裟に叫び、物を投げつけ、顔を歪めて大粒の涙を流すところだろう*2。しかし、筆者は抑制することで、いわば逆説的に巨大な悲しみを表現する。そこに、読者は想像力を駆使して、悲しみを自問自答する想像の余地が生まれる。これが、テキスト表現を読むことの醍醐味であろう。

  話が逸れた。こうして、主人公は、たそがれ時の隣人との夕食場面から一転して、復讐に赴く戦士へと変貌する。62歳の主人公は・・・。そう、この小説の本質は老人アクション小説なのである。歌野「葉桜の季節・・・」が、最後にどんでん返したキモが、当初から一つのケレンとして、物語に彩りを加える。62年には過去があり重みがある。亡くなった妻も居れば、タチの良くない人間とつるむ息子との確執もある。

  その主人公は、元刑事であり、現在はイカサマ暴きを正業としている。彼は、殺された親友が暴こうとしていたイカサマが行われていたカジノに趣き、親友が殺された理由を探す。その理由が、なんであるのかは、読んでみてどんでん返しをお楽しみあれ。


  さて、老人が主人公である本作品。主人公は、カネのためにカジノ暴きに従事しているわけではない。正義や使命感でもない。なんのためか?彼の仕事を手伝うようになった冒頭の隣人の語りに示唆される。

「わたしも何か生き甲斐がほしいのよ」メイベルは言った。「あなたが充実した人生を送っているのを見て感心しているの。」

  正当な金儲け、ましてや正義、使命感で行動するのは、間違ったことではない。しかし、「人間を動かす最優先なる因果律は、”生き甲斐”である」と、この物語は語りかけているように思われる。

(本稿以上)

本文で触れた、歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」は、どんでん返しモノの傑作です。そして、「ファニーマネー」以上に、「”生き甲斐”ってなんだい?」という問いかけに熱く答える物語になっています。個人的には、私の卒業した高校の定時制に通う主要人物が出てきて、「およよ!」って思ったものです。

葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)

葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)

*1:いかさま賭博師は、逃げ出しやすい四つ辻(クロスロード)に建つ酒場をホームグラウンドにしていたことから、いかさま師のことをクロスローダーというそうです。ちなみに、「R・ジョンソンよろしく、悪魔に魂を売り、ブルースの神力を手に入れんがため、毎夜四つ辻に立ち尽くすブルースメンのこと」という意味もあるみたいです(出典『けろやん。辞典』。

*2:織田裕二とか。嫌いじゃないんですけどね^^