私の今日

  俺の今日という一日は、俺の今日であり、誰かの今日という一日は、誰かの今日である。

  「ふん!関係ないもんねえw」と、鼻で笑えるほどの”今日”と”今日”ではないことは、もちろん事実である。

  だがしかし、「関係なんか全くないぜ!クソッタレ!!」と心の中で、悪態を吐きながら、激しく嗚咽を漏らすほどの”今日”と”今日”ではないことは、強がりではなく確信である。

  「事実よりも確信が勝る」、という言説が負け惜しみだ、というわけではない。

(本稿以上)

  シンプル・イズ・ベストに書くと、

「事実よりも確信が勝る」は、負け惜しみではない。