奇天烈三題噺@ネット〜①混濁する弁当様

  日本国が誇る論壇系ブロガーid:finalvent氏が、混濁気味のようですね。いつものように朝一番の社説巡りで、

産経社説 音楽配信とCD 共存共栄に知恵しぼろう 09:19 
  これは相当に変なというかトンチンカンな社説ではないか。めんどくさいのでしないが、実証的に反証される内容が多いように思える。 このところ、技術関連の新聞記事・社説が素っ頓狂に外しているのはなぜなんだろう?

  と相変わらず、の意気軒昂なお姿で登場。しかし、その後、ネット巡りをしたのでしょうね。そこで、黒崎氏の「道具とその弟子」を発見されて、

例えば新聞の社説を並べ、やや引いた立場からコメントをつける。それによって、ある種の知の形が網羅できるとする手法もあるが、畢竟これは高等床屋談義であるのだと、ご本人も自覚されているかのようである。
批評する人生。
それによってナニをしたいかというと、それもすぐには見えてはこない。
何がしたい訳でもない。俺はここにいる。
ということを、今の技術を使って日々確認しているだけかも知れない。

という「カキコミ」を読まれたのか、すかさず、反射されて、

遠いかすかなリーチを記されたようで。前半部分は、感銘を受けた「ブロガー」に揶揄?されて意気消沈しているのは、分るが、後半部分がわかりません。

 遠い人に届く声は小さい声ではないかと思う。
 以前も書いたけど、愛の本質は隠れることだ。人の思いはなぜか隠れる。隠れたところに届く言葉は小さい。

  「ほのめかしメソッド(分る人には分るでしょ?)」なんだろうけど、はあ?ッテ感じ。「黒崎さん、愛しているよ!」ってことか、愛が破れた私への皮肉か。まあ、どうでもいいけど。さらに、粘着(追記)を述べられている。

 私は、たとえばダルフールで人が虐殺(ジェノサイド)されていくのを人ごとだと思わない。
 ただ、私は自分が小さいと思う。
 自分の小ささに見合うことしかできないと思う。
 そして私は自分を愚かだと思う。
 愚かさに大きく掬われない程度のことしかできないと思う。

  
  感傷に耽りながらも、伝家の宝刀、ダルフールを抜いたね。id:finalventダルフールに言及する時、誰も敵わないよ(´・ω・`)。ああ。で、エントリ■ちなみに最近のダルフールの状況 を立てる。うむ、あなたには誰も太刀打ちできませんよ。

  と、id:finalventの足跡を辿るに、あなたはお疲れ様のようだし、①吉本隆明ダルフール山本七平、辺りを語っていれば良いのではないでしょうかね?本サイト極東ブログ政党ビラ配布の無罪判決、雑感」も、最初のコメントと同じく、ナニ言ってんだか、分りませんでした。小さい声で、廊下でビラまけばいいんじゃねえの?あ、そのコメント、私じゃないですよ。

(本稿以上)