境界線の記憶

  薮入りということで、旧友と話す機会があり、まあ陳腐といえば陳腐ではあるが、旧い知人の近況なんてのが話頭に上った。当時、輝いていた人物たちが、堕落の淵を彷徨っている話など聞くに、気持ちの良し悪しは別として、考えさせられる。私たち30代が若いか否か、考え方は人それぞれだろう。だがしかし、30幾年という年月は、厳然と存在している。堕落と奈落の境界線。

  さらに旧い知人のことを思い出す。絶対に暗い道を歩むであろうと、若気に予断してしまっていた人物。十数年ぶりに出会った時の彼は、豊かではないにせよ、平和に生きていた。堕落、奈落いずれの淵だか知らないが、淵から生還して、地に足をつけていた。その一方で、暗く消えてしまった知人もいる。

  まあ、誰しもが屹立する稜線のナイフリッジを歩いており、どちらに転ぶか判らない、というのは反論できない正論だろう。しかし、稜線を歩くのに方法があるように、転ばぬような生活方法もあると、思う。

  ・・・薮入りということで、柄にも無く感傷的になってしまいました。

【上方落語メモ第4集】その170
お盆のいわれ

(本稿以上)