実名ブロガーの距離感

  ネタ元が少なくて恐縮なのですが、またまた倫敦橋さんのエントリ経由で知って、考えたことを書きます。

実名・匿名問題

実名を主張している人の言説の耐性が、あまりに低すぎる。普通に対話・反論やら論争ができないものなのだろうか。

  上記エントリの引用リンク先を覗いてみると、作家である吉田望氏が、自著に対するAmazonレビューを書いた匿名さんに異議を唱えて、議論に発展したという状況らしいです。少し長くなりますが、発端のヤリトリを引用してみましょう。・・と思ったのですが、ちょっと長いので、リンクを貼ることにしますね。

匿名さんのAmazonレビュー

吉田望さんの発端コメント

  上記ヤリトリのみを読む限り、建設的な議論の幕開けとも思えるのですが、事態はそうならなかったような様子みたいで。と、言葉がウヤムヤなのは、リアルタイムで追っていなかったからか、読解力の小さな私には推移がよくわからないからです。ウヤムヤをムヤムヤ進めるのはヘンな話なので、話を変えましょう。

  ネットについて考えることはたくさんありますが、その一つに作家ですとか、芸能人、スポーツ選手等が身近になってきたなあ、という思いがあります。例えば、物語を紡ぐ作家が、ブログ等で日々の日記を記していて、「ああ、待望の新作はいい感じではかどっているようで嬉しいなあ」とか、「なるほど、作家さんも付き合いの宴席もあって大変だなあ」というような日常が垣間見えたりします。もちろんサービスの一環ということもあり、内容も無難なものが多いというのが実情でしょうが。


  話が飛んで、実名で書くブログというものを考えてみました。実名というのが曲者で、実名(通り名を含む)が、社会性を帯びていることが実名足りうる条件だと私は思っています。すなわち、実名という看板を背負って現実世界で活躍している人々が、ブログ世界で実名を名乗り書き記すということが、実名ブロガーの前提かな、と。先ほど例にあげた作家さん等ですね。

  例えば、私が雨蛙ケロ助という実名(と仮定してください)を名乗り、ブログを書いたところで、それは実名性を有していないと思うのです。悔しいことに、私の実名には、”社会的な地位”が宿っていません。検索しても、何も無いのです(´・ω・`)・・・。

  さて、実名性を有していて、かつ実名でブログ等を書く人々。目的というか、志はさまざまでしょう。しかし、現実世界での本業にプラスになっているか、という卑賤な尺度でみると、果たして結果はどうでしょうか?冒頭で触れた作家吉田望氏が、書いた次のエントリを読んで、どう思うでしょうか?

amazon書評者nomadicaさんにお詫び
僕はアマゾンの書評では過去に嫌な思いをしているのです。
それはブランドにおける「電人ザボーガー」という男の書評です。それこそ匿名をいいことに、言いたい放題です。くやしいので・・・ブランドⅡでハンドルを書いて、復讐しました(笑)


  私は、吉田望氏の書いた著作を読んだことがありません。しかし、「復讐しました(笑)」と書くような作家さんの本、必要に迫られなければ読みたいとは思わないなあ。吉田氏著作の熱烈な愛読者は、どう思うのか、ちょっと知りたいなあと思います。「ああ、人間的野趣溢れる凄い人だよ!」って思うのかな???

(本稿以上)