口座と本名、そして執筆者

http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post_3fbd.html

に興味深いコメントがありました。長くなりますが、引用してみましょう。

本名は公表するつもりはないんです
でも、「泉 あい」という名前でも銀行口座を作ることができました
本名でなくても、
私が泉 あいであると社会的に認めていただけたということなんですよね

報道機関でも、必ずしも本名でなくていいと思います
HNも、その人を指す名前であることに変わりはありませんから
但し、掲載を許可する組織の義務として、記事や一次情報を掲載する時は、執筆者個人を特定できる情報を登録していただく事は必要だと考えています
個人を尊重する報道機関ですから、いい加減な情報だと読者からも批判されることになると思います
投稿 ぁぃ |2005/12/01 2:49:59

(太字は引用者)

  この投稿者「ぁぃ」という人は、「。」を付けない人なんですね。この辺は、興味深い書き方だと思います。


  さて、引用文を一読して感じたのは、、随分と身勝手な報道機関、あるいは組織を構築しようと考えていたんだなあ、ということです。HNで銀行口座を作れたから、「社会的に認めていただけたということなんですよね」、と反語の余韻を残しながら、読み手に迫る書きぶり。このへんは、ボクシンで言うところの、左ジャブ、やや強め。

  そして、「報道機関は・・・本名でなくていいと思います」。そりゃ、週刊AERAは匿名でしょうが、発行人、編集人は本名でしょう(ちがうのかな?)。さらに、「組織の義務として・・・執筆者個人を特定できる情報を登録」することは必要であり、その理由として、「いい加減な情報だと・・・批判されること」を回避するためであるとする。

  報道機関のトップが匿名で、執筆者は個人を特定できる情報を登録する、果たして、これで「いい加減な情報だと」の批判を回避できると本気で思っていたのでしょうか?無茶苦茶な三段論法というか、ボクシンで言うなら、ワン・ツーをかわされて、大振りのフックが空を切って消耗しているような気がします。

  あるいは、深読みすると、「記事を書きたいなあ」と思う人の「個人を特定できる情報」が欲しい、と、これは私の妄想ですが、考えてしまいました。おそらく、そこまで考えていなかっただろう、とは思いますが・・・。

(本稿以上、ちょっと続くかも)