一人ぼっちの心配

  R30氏のエントリ「世界観と経済圏」を読んで思ったことを書きます。煽りとかではありません。引用します。

してみると例の有名な標語を掲げて構築した世界というのは、そもそもある意味莫大な「裏金」が動く原理をその成功とともにビルトインしていたわけで、実はその原理自体が某掲示板住民さんたちあたりが毛嫌いするところの「evil」な世界観だった、と言えるかもしれない。何とも皮肉な倒錯。

  私には、ちょっと難しい書きぶりで、正確な理解じゃないかもしれない。ただ、「裏金が動く原理自体を某掲示板住民さんたちあたりが毛嫌いする」ということであるならば、私はそこを毛嫌いしているわけではありません。毛嫌いしている、正確に表現すると懸念しているのは、総表現社会という甘言に乗せられて、ブログをはじめとする文章、その他の表現が、利用されること。「幻の報道機関設立計画」及び最近のデジタル・ジャーナリズム研究会の人々の発言を読んでいると、「利用する」という言葉は強すぎると思うけど、そういう空気を感じます。
  あるいは、「利用される」人も幸せかもしれない。利用されることによって、たくさんの人に自らの表現を知ってもらうことができるから。問題は、「利用する人」と「利用される人」の外にも、数知れぬたくさんの人々がいること。現在*1の私も含めて。いわば、受信者の層。今のところ、そこにいる私にとって、「ダンピングされた表現」が力を持って、のしのしと歩く世界が来るのは嫌なんだ。表現の質の低下。最適な言葉じゃないけど、とりあえず書くなら、そのような状況が到来することが嫌なんです。

  もちろんこれは、「某掲示板住民さんたち」のたった一人だけの私の気持ちであり、その他、たくさんの人々は、また違った思いを抱いているでしょう。したがって、R30氏の言葉が、すべからくすべてが、間違っているとは言いません。ただ、一人の人間は、こう思っているんだ、ということを知っていただきたく思い、コメント欄に書けないので、こうして書いた次第です。

参考リンク:
幻の報道機関設立計画(1)

質が高いな、と私が思ったコラム
「4パーセントの望み(1/2)」

(本稿以上)

*1:将来はわからない。