湯川鶴章氏は、何者だったのか?(下)

  さて、4月14日の<スターバックス密談事件>。私が、一方の当事者であるスポンタ氏の無垢な姿を信じたことは、先のエントリで述べた。しかし、他方、湯川鶴章氏はどうだろうか?スポンタ氏は、湯川鶴章氏に懇切丁寧に<Podcast>事件から乖離した「ネットで起きていること」を説明された。湯川鶴章氏は、「こいつ、ナニ言ってんだ?各方面から叩かれて、俺は憔悴しきっているんだ。勘弁してくれよ・・・」と嘆いたかもしれない。
  しかし、スポンタ氏は湯川鶴章氏のブログコメント欄で、最後まで諦めずに、意見を発していた人物だ。湯川鶴章氏は、真実を塗り隠そうという意図をもって、無垢なるスポンタ氏を利用したのではないか?

黒崎さま、鮫島さま 
個人的にお願いしたいことがあります。
一度、ご連絡いただけませんでしょうか。
2005年05月24日: 「黒崎さま、鮫島さま、連絡ください」(魚拓)

トリルさんにご相談したいこと、もっと詳しく聞いてみたいことがあるのですが、一度ご連絡いただけませんか。
2006年01月21日: 「トリルさん、連絡いただけませんか」(魚拓)


  今となっては、正確に引用できるが、当時の私には、上記に引用した過去における湯川鶴章象が漠然と脳裏に残っていただけだ。しかし、そうした残像は、そのときどきに発せられる言葉以上に力を持っている。いわば、言葉の残像、歩き出した言葉の怖さ。湯川鶴章氏への不穏な空気を感じていた。
  すなわち、「参加型ジャーナリズム」を掲げる時代の寵児でありながら、反面、コメンテータ個別に呼びかけ、篭絡する「狡猾漢」である湯川鶴章氏像。それが、当時の私の奥深くにあった。そして、湯川鶴章氏が、頑ななまでに無言を貫いている現在も抱いている像だ。

−−−
  スポンタ通信「湯川さんと会う。」(何度もゴメンね>スポンタさん)の一つの言葉に、私は注目した。エントリから引用する。

ネット情報を把握していないなんて、IT記者失格ね。

  これは、湯川鶴章像に対して、スポンタ氏の奥様が発せられた言葉だ。このエントリの後段で、スポンタ氏の奥様に対するノロケを排して読むと、スポンタ氏や湯川鶴章氏ではなく、スポンタ奥様が、一番の明晰な状況分析能力を有していることが、示唆される。

  私は、スポンタ奥様の慧眼を信じることにした。すなわち、湯川鶴章氏は、裏工作という意図を胸に秘めて、スポンタ氏と現実世界で接触したわけではない。単なる無知であったのだ、と。無知なる湯川鶴章氏と、無知なるスポンタ氏が会合した<スターバックス事件>。今回の騒動を語り合うには、あまりに場違いであり、生産性の欠片も無い、不毛な会合であったろう。

「IT記者失格」な湯川鶴章氏。彼が、「ことのは騒動」の渦中に飛び込んできてしまったのは、無知なる故であった。

  すなわち、「何も知らないまま、問題を秘めたPodcast*1を公開して、その後にことの重大さを認識した」。これが、私の湯川鶴章氏への結語だ。もちろん、Podcastを公開、削除して、周辺情報に照らすと事実と異なる削除理由を述べられ、周辺情報に反論しない、あるいは真実の削除理由を、今、現在に至るまで述べていない。これは「参ジャ」伝道師湯川鶴章として、正しい行為だとは思わない。*2

  引用を繰り返す。

ネット情報を把握していないなんて、IT記者失格ね。

  私は、これが湯川鶴章氏の姿だったと信じたい。無知のまま渦中に飛び込んだ失格記者。

−−−
  私は、湯川さんのブログに書き込んだ。

Commented by けろやん at 2006-05-22 00:05 x
(略)
さて、
>湯川さん
私はブログにて、
失礼な書き方をしたけど、
これまでの経緯とあなたの対応について、
そのように考えている(いた?)読者も居たんだ、
ということを、ほんの少しでいいですから頭の隅に入れてくれたら幸いです。


新しい本。
出版されたら購入します。
そして、その頃まで、私の興味が続いていたら、
今回の経緯を含めて、ブログで感想文を綴らせていただきます。

今回の騒動は、私にとっても、ブログを含めたネット世界にとって有意義だったと思います。

  今、読み返すと恥ずかしい。だがしかし、

「今回の騒動が、ネット世界にとって有意義だった」という感想は、今も変わらない。

  いつか、湯川さんが、今回の騒動への対応(不手際、失敗だと思う)を結語してくれれば嬉しい、と思っている。新しい本の仮題「ネットにやられてたまるか」*3、と攻撃的にならずに。負を背負って発せられる攻撃的な言葉は、負を拡大しながら、世界を闊歩する。発する人の予想を超えて。

(本稿以上、参ジャも以上、、、だけど↓に少し書く)


※本エントリは、中途にて論理破綻していることがお分かりだろう。湯川鶴章氏に対して疑問符を抱いたまま、強引に他者の言葉を引用して、私はそれを信じた、ことになっている。しかし、私自身が、そのように結語したことは事実だ。私は、このエントリを書くことで、彼が説明責任を果たし、「参加型ジャーナリズム」という飾られた言葉の伝道師ではなく、重みと意義のある「参ジャ」を伝道する人間になることを祈っている。

  すなわち、このエントリは、希望のエントリです。

湯川さん、ブログ世界の片隅から、最後のトラックバックを飛ばします。

でわ。  

(本稿以上)


>スポンタさんへ
  私は、この一連のエントリを書き始める以前の時点において、スポンタ奥様の言葉を信じました。正確に述べるならば、その言葉で自分を納得させました。しかしながら、それを発端あるいは中途において、あからさまに提示すると、おそらくあなたが、コメント欄に登場して、あなたの思いを綴ると考えました。読み手にバイアス*4を与えてしまう。
  正直に述べると、私の思いが、太鼓持ち的言説に昇華されてしまう、という極めて私的な危惧を抱いた。それらを回避する目的もあり、あなた(スポンタ氏)をネタにして、エントリを書いてきたというのが、実情です。決して、あなたを揶揄することが、目的の大部であるわけではありません。しかし、謝っておきます。ごめんなさい。

(私信以上)

*1:公開されたPodcastは、問題を孕んでいたらしい。それは、掲示板の情報等からも推測でき、かつ、湯川鶴章のIT潮流において、スポンサーであった富士通が、ロゴを外した事実から明らかだろう(参照:黒崎夜話「「IT潮流」スポンサーロゴ外れる」

*2:そして、先日のエントリで取り上げたアノレファコメンテーター詰め所2.0「皆様へ 」における、トリルのコメントを辿ると、<スターバックス事件>の前後に「参加型ジャーナリズム」らしからぬ、机の下でのヤリトリがあったように感じられる。

*3:題名は、スポンタ氏の発案らしい

*4:コメント欄におけるバイアス形成については、http://kusanone.exblog.jp/3470741/のコメント欄が「教科書」だ。意図性の有無は不明だが、何度と無く方向性が微妙に変わっていく様子が窺える。