ブログから広がる経済性と社会性 


  さて、このブログですが、アクセス・アップ・バブルも終わったみたいで、ネットの隅っこらしいアクセス数に戻りました。先日来、引っ張りまくっている「ことのは」騒動ですが、野次馬なウォッチをしていて、いくつか興味深い点を発見しました。最近のオチャラケ@脳内限定を反省する意味も込めて、真面目に書きたいと思います。


■実名・匿名ってなんだろう?
  私が、「ことのは」氏を知ったのは、騒動の発端とも言えるエントリを読んだことがきっかけです。したがって、騒動のほぼ最初から、ウォッチ出来たので嬉しいような、誇らしいような、実は大したことがないような。
  このエントリは、「今から読み直すと、松永らしくない粗が目立つエントリでアル!」と、ネット界隈では言われていますが、私は面白く読みました。そして、今、読んでもでもそう思うと思います(ヘンな修辞なのは読み返していないからです・・・)。内容だけでなく、小さい文字が主流(注)の読物系ブログで、大きな文字で読みやすいデザインにも好感を持ちました。
  そんな感銘を受けた私は、過去のエントリを読んだものです。そしてプロフィールを覗いてみると、「古い本だから同じような本が出るまで待とうかね」と、気に留めていた「はてなの本」の共著者であることを発見。うむ、現実世界でも本を出すほどに活躍している人なんだなあ、と思ったものです。

  さて、この時点で、大方の読者と同様「松永英明」が実名じゃないなんて思いもかけませんでした。ですから、彼のカミングアウトとその前後の流れで、彼の本名は別のものであったことが分ったことが、その頃の私にとって一番大きな衝撃でした。今思えば、ペンネームとして考えればいいのですね。ただ、ブログを書くときに、さも実名であるようなペンネームを使うというのが腑に落ちませんでした。雨蛙ケロ助。
  そういうわけで、私にとって「ことのは」騒動第一幕の印象は、実名・匿名論争が解体され、不毛な過去のものになるのではないのかな?というものでした。しかし、第何幕かは分りませんが湯川鶴章氏が登場したことがきっかけで、再考を試みました。
  「湯川鶴章」。もしかすると、これも「松永英明」的実名なのかもしれません。しかし、重要なのは、「湯川鶴章」は、”時事通信のIT専門記者・湯川鶴章”という社会的属性が付随していることです。私が、「雨蛙ケロ助」という「実名」でブログを書いても、それは実名には成り得ない。すなわちネット世界での実名とは、社会的属性が担保されて、初めて、実名足り得るのだと思い至りました。


■ブログの経済性
  梅田望夫ウェブ進化論」のバラ色*1世界に、ブログという簡単なツールで全世界に自分の思いを伝えることが可能である、というくだりがあります。ブログは、「ネットを介在させて、不特定多数に対峙する」という志向性から、社会的なツールであるとという考えですね。しかし、対峙するの相手は、不特定多数たる社会ではあるが、書くのは自分という個人であり、ブログの「こちら側」は非常に個人的なものです。
  簡単に言えば、ブロガーも「雨蛙ケロ助」も現実世界を生きている。自らの現実世界の一つの生活としてブログを書く。したがって、とりわけブログ世界の市井の無名ブログマンの立ち位置は、現実世界が主なのです。読んでくれるととても嬉しいけど、所詮、趣味のようなものだし、ヴァーチャル世界のアクセス数よりも、素敵な女性と心を開いて、あんなことやこんなことを一所懸命話したいものだよ!というのが実感です。
  そして、有名ブロガーさんたちの心中も、有名になった事がないので想像ですが、濃淡はあれども似たようなスタンスじゃないかな、と思います。しかし、猛烈なアクセス数を誇るブログに成長するにつれ、ブログというものが、実益にならないものか?と考えてしまう欲望が芽生えはしないでしょうか?
  例えば、一日に1万アクセスを誇る場合、1アクセスにつき1円を徴収したら日給一万円。結構なお金ですね。これが継続するならば、私なら、今すぐ山奥に方丈の庵を構えて隠遁してしまうかもしれません*2
  さて、前述の湯川鶴章氏に対しては、富士通がスポンサーとして名乗りを挙げています。「湯川鶴章のIT潮流」という、いわゆる”表”ブログです*3。一般的なブログとは毛色が違い、例として適当ではないかもしれませんが、一応こういうスポンサーが付くブログもあります。ブログを書くことで、お金を手にすることが出来るわけですね。
  いえ、もちろん金銭欲だけではないかもしれません。ブログを書くという個人性に金銭という経済性を付与したい、という欲求。ブログを書くことが経済性を帯びたならば、より深く社会とのコミットという社会性も濃くなる。ブロガーを「エントリを生産するクリエイター」と考えるならば、社会性を高めたいという動機の方が強いかもしれませんね。
  アフィリエイト。これは、便利なツールみたいですね。Amazonモノ、私も使っていますが、効果の程は_| ̄|○・・・。あ、私のAmazon ID?「keroyan-22」でDVD「54個の巨乳連発」(だったかな?)を購入してくれた人ありがとうです^^。これが一番大きな紹介料金で58円でした。


■現実世界とブログ世界の融合
  以上二点を「ことのは」騒動ウォッチで思いつきました。二点目は、カネ、カネ、うるさい事を書いてきましたが、ここで、実名問題と経済性を結び付けて考えてみましょう。結論を先に述べると、社会的属性を担保する実名ブロガーは、全ての人ではないですが、その属性とブログを書くということで、経済性の向上、社会性の充実を実現できると思います。
  例えば、前述の湯川氏であるならば、実名でブログを書き綴ることによって講演会の講師となることが可能(だった)ようです。

〈メディア研究会〉第128回メディア・セミナー
テーマ:「メディアの融合と参加型ジャーナリズム」
講 師:湯川鶴章

都内で講演します

  これは、「参加型ジャーナリズム」論をブログで展開していたことと”時事通信のIT専門記者・湯川鶴章”や「ブログ・ジャーナリズム」という書籍の共著者であるという社会的属性とが結実した成果だと思います。すなわち、湯川氏は、社会的属性のある実名でブログを書くことで見事に、経済性、あるいは社会性(現実との濃密なコミット)を実現した人物だったのです。
  もう一つ例をあげてみましょう。会計や会社関係の法律解説を丁寧に解説するブログ「isologue」を書いている磯崎哲也氏。私も現実世界で参考にさせていただいています。彼は、公認会計士資格を有し、証券会社の社外取締役を務め、経営コンサルタントであり・・・と多彩な顔を持つ人です。現実世界で八面六臂の活躍している人ですので、私みたいに「カネ、カネ、カネ」なんて下賤なことを叫ぶ必要はないでしょう。しかし、彼は、「ブログを始めたことで仕事面で有形無形の利益(という下賤な表現ではなかったと思います)が得られた」ということを何処かのエントリで書いていました。おそらく、ブログを書くことで講演会の依頼もたくさん舞い込んだでしょう。しかし、講演会の謝礼以上に、ブログを書くことと社会的属性が相乗効果となって、より濃密な社会性が広がったことにブログの意義を感じている姿が想像されます。
  以上、少し対照的ではありますが、「実名」でブログを書く経済性、社会性の向上について例をあげてみました。


■結論
  ブログは、本来個人的なツールであり、ブログを書くということは、「こちら側」では極めて個人的な行為である。しかし、社会的属性を付随した実名で書くということで、経済性、社会性を向上させることもあり得る。おっと、「経済性はともかく社会性の向上については、匿名でも可能であろうよ。新宿あたりでオフ会をやったりとかさ!」という意見もあると思いますが、しばしお待ちを。

  以上、長々と書いてきたのですが、本当は、半実名者*4が書くブログから得られる(と想像される)経済性、社会性について、話を続けたかったのですが、現実世界に戻りますので、ここで終わります。

(本稿以上)

*1:決して皮肉ではありません。

*2:このブログの通常のアクセス数は、100くらいなので、このようなシステムが出来上がったとしても、日給100円ということになります^^

*3:放置されているのが、いわゆる”裏”ブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」http://kusanone.exblog.jp/です。興味深く読んでいたのものですが・・・。

*4:「ことのは」騒動の関係者で例えると、R30氏、BigBang氏、泉氏という面々です。もちろん、騒動を離れたところでは、無数の半実名ブロガーは存在しています。