今日からは歩く花〜♪:アノマリー現象について、その三。

  話は1990年代に入ります。先に述べましたように、THE BLUE HEARTSは、1990年7月25日に、シングル「情熱の薔薇」を発売します。この曲は、学園ドラマの主題歌にもなり、お茶の間を席捲し、オリコンチャート1位を記録します。重厚なサウンドをバックに、ロマンティックな詩を野太い声で歌いあげるスタイルは、デビュー直後の疾走期と変わりませんが、どこかソフィスティケートされたまとまりの良さが感じられます。
  同じ頃、社会では株価は、天井を打ったものの、バブルの余韻は続いています。1991年に、ジュリアナ東京がオープンし、同年放送された「東京ラブストーリー」に代表されるトレンディードラマが、空前の視聴率を稼いでいました。後者は、洗練された主人公たちが、スタイリッシュな部屋で生活を送りながら、昔ながらの恋愛に悩むというやつですね。当時、薄汚い浪人生だった私には、星霜の彼方のようなお話でしたが、正直、カッコいいですな。
  しかし、世の中、明るいことばかりではありません。1990年8月2日、イラククウェートに侵攻し、その対抗として、翌91年1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍イラク空爆します。湾岸戦争の勃発です。緑がかったテレビゲームのような空爆映像は、お茶の間でリアルタイムに放映されたものですね。私も釘付けになりました。この年には、ソビエト連邦が崩壊するという大きな出来事が起こってもいます。歴史的には、こちらの方が特筆されるべきでしょうが、湾岸戦争の鮮烈な映像が強く心に残っており、あんまり記憶にない、という方も大勢いることでしょう。
STICK OUT  THE BLUE HEARTSも、不安定な世相と軌を一にして、煮詰まり停滞してしまいます。ライブでは初期の頃から演奏されていた「TOO MUCH PAIN」を発売するなど、新機軸を悩みながら模索する様子が窺えます。そんな重たい空気を吹き消すように、1993年、起死回生のアルバム「STICK OUT」が発売されます。黎明期の彼らを髣髴させるスピード感溢れる曲の連打に、完全復活を信じたファンの方も大勢いたと思います。私も、「なんという熱い疾走感だろう!初期の青臭さはないけど、誰もが成長して大人になるものだ、貫録勝ちだな!」と、首肯し嬉しく歓迎しました。
  そんな喜びも束の間で、1994年の後半から、彼らの音沙汰が途絶えてしまいます。そして、1995年5月17日、ラジオ番組内で、突然の解散発表。その様子が、テレビの特集内で放送されているのを聴きましたが、こんな感じだったと記憶しています。

(今後の予定は、あるのですか?と明るく問われて)
ヒロト「いや、特にないですねえ、解散することくらいですかねえ」。

  鮮烈なデビューは衝撃的であり、解散もまた驚きに発表され、ここに10年間に渡る彼らの活動は停止されました。
  社会では、後の世に「失われた10年(ロスト・ナインティーズ)」と呼ばれる低迷期に突入し、彼らの解散した1995年には、1月17日「阪神・淡路大震災」、3月20日地下鉄サリン事件」と立て続けに暗い出来事が起こり、不穏な空気が人々を重苦しく包み込んでいました。解散後の、1995年7月10日、アルバム「PAN」が発売されます。その中の「歩く花」でヒロトは、こう歌います。

PAN
今日からは歩く花

根っこが消えて足が生えて

野に咲かず 山に咲かず 愛する人の庭に咲く

  悲しい歌詞ですね。厳しい世界には疲れたから、暖かいところでのんびりしたいよ・・・、という後ろ向きな心境が感じられてしまいます。もちろん、これで駄目になってしまうヒロトではなく、後に「不死身の花」という曲で、しっかりと復活しますよ。
 
  
  以上、長々と弁舌を振るって来ましたが、「アノマリー現象について」をおしまいにさせてもらいます。THE BLUE HEARTSの活動史について、下記の参考文献をとても利用させてもらいました。ありがとうございます。

参考文献:「ブルーハーツと日本のパンク」(別冊宝島、宝島社)

p.s.
上記の参考文献でも、バブル経済との関連性が「ブルーハーツとレイト80‘s」という記事で触れられています。
書く際に、読み直しませんでしたが、一度読んだことは事実であり、知らないうちに類似点が出てしまっているかも知れません。不快に思われたら、本当に申し訳ありません。

p.s.
「歩く花」は、とても悲しい歌ですが、とても大好きな曲です。
大好きな曲が多過ぎて困りますが、いつでも私のBEST5に入ります。