「明日の記憶」〜明日は何処へ向かうのか?

明日の記憶  去年の今頃ですかね?真面目にエントリしました荻原浩明日の記憶」が、本年5月に映画として公開されるそうです。主演はワールド・ワイディングに活躍する渡辺謙。映画公開に先立って、日本経済新聞平成18年3月11日付の「文化」というコーナーで、作者のインタビューを交えて紹介されていました。引用してみましょう。まずは、作者の言葉です。

三者の目からアルツハイマー認知症(痴呆)を描いた作品はこれまでにもあった。しかし一人称で本人の目から書いたものがない。介護する人は大変だが、一番つらいのは本人。記憶を失っていく本人の目からその葛藤や苦闘の日々を書いてみたかった。

  そうそう、これですよ!!当時、私は「ハードボイルド、ハードボイルド!」と叫んで満足していたものですが、心底主張したかったことは、上記引用にある本人の葛藤・苦闘、そして諦念から懸け離れた執着こそが、この物語の骨髄である、ということです。悔しいけれども、「後出しジャンケン自画自賛であるよねw」と、謗られようと、構いません。

  作者も述べているように、「介護する人は大変だが、一番つらいのは本人である」ということ。これを主人公が、力強く克服しようとする自律姿勢にハードボイルドに通じる類似を感じたのです。


  しかし、映画制作者サイドの発言から、影響を受けたかは不明ですが、本記事の執筆者は、続けます。

原作では佐伯(主人公の姓:引用者注)が日記を書いていく中で、映画では夫婦の二人三脚の闘いのドラマとして、切なくも暖かくつづられていく。

  ちょっと待て待て!「二人三脚の闘いのドラマ」だと!?二人三脚が嫌いなわけではない。3月14日のホワイト・デイ*1にブログをチマチマ書いている妬み、謗り、僻みから否定するわけでも、決してない。また、家族愛を唾棄すべき友愛であると考えるほどの変人でもない。実際、私自身、かつて病難を体験したことがある。そのとき、家族、友人の支え、励ましを嬉しく思い、治癒の絶対的原因になったと信じている*2。だから、「二人三脚」的美しさを真っ向から否定する気持ちは毛頭ない。

  しかし、物語としての「明日の記憶」の主題。主題なんてエラそうな評論家キドリのテーゼを持ち出すまでも無く、作品の魅力・醍醐味は、主人公の克己心だと思う。くどいようだが、記事から引用してみよう(執筆者区分が分りにくく、上記記事の執筆者とは別記者ではないかと思う)。

夏目漱石は「道草」や「明暗」など神経衰弱に悩まされる人物を描くメランコリックな作品を書いた。芥川龍之介の「歯車」や「或る阿呆の一生」は神経を病んだ芥川の遺作として有名だ。

  これが、伝統的な日本文学の苦悩であり、「明日の記憶」が、この系譜に連なる作品であるかのように、サブリミナルに読者を誘導している感もある。流されやすい私であるが、この件については、流されない。

  病種が、別種の性格を有することは、末節の違いに過ぎない。従って、単なる病気という共通項を持ち出して、比較考察する記者の稚拙を笑わない。問題は病難に向かい対峙する姿勢だ。上記引用には無いが、夏目漱石「行人」*3、及び上記引用の芥川龍之介「歯車」の主人公の指向性は、明らかに「明日の記憶」のそれとは異なる。「歯車」に至っては、指向性すら皆無だ。「明日の記憶」が、純然たるフィクションであり、他は実生活を如実に写した小説、あるいは崖っぷちの私小説、という大きな違いはある。だから、どちらが優勝劣敗ということを問うわけではない。そもそも、比較する土俵が違うわけであるから。


  さて、記事がサブリミナルに読者を囲い込もうと、洗脳するから話が逸れた。小説「明日の記憶」は、断じて、病気と言うスパイスを振り効かせて家族愛ありき、お涙クレクレの物語ではない。一人の人間が、極論すれば我が身一つ、徒手空拳で遭難に立ち向かう物語だ。そのことを映画関係者には、理解して、心を叩いて欲しい。もちろん、未公開の映画を鑑賞した私ではないから杞憂であるかもしれない。すなわち、バカな私の被害妄想的幻想であるかもしれない。

  最後に、取り上げた小説「明日の記憶」の終わり方。発表当初から賛否両論ありました。否なる意見として、「あまりにメルヘンチックで甘すぎる」、「現実を知らない人間の戯言に過ぎない」など。それらを思い出して、今、思い至りました。二人三脚家族愛の物語は、この物語が幕を閉じてから、過酷かつ熾烈に始まるのだと。本格的な「家族愛」(成否は不明だ)に至る孤軍奮闘の物語なのだ。明日の記憶」の本当の明日は、物語の先、読者の心の中にあるのです。

(本稿以上)

明日の記憶

明日の記憶

*1:本稿を書いたのは昨日3月14日です^^

*2:文学の力も大きかったですね。A・クラーク「海底牧場」、D・フランシス「血統」など

*3:夏目漱石の最高傑作だと思います。近代人の苦悩を描いた小説と一般的に言われていますが、あまりにも哀しいが兄嫁と弟の恋愛物語という見方も可能。読むたびごとに多元的な解釈が脳裏に浮かぶ、そんな小説です。